自信と謙虚

 

最近知人と話していて

 

「自分の事を信じてないと

夢は叶えられないよ」

と言われました

|・ω・`)ノ

 

これ

自己啓発から、自己分析、ビジネス系まで

いろんな本に書いてあるんですよね

知ってる知ってる

1万回読んだ

 

そのたびに

「え?そうか?」と思ったまま

流して来た私は

 

「自信なんてなくても

夢は叶うんじゃない?

あんまり自信満々オラオラしてる人

私苦手なんだけど」

と答えました

 

「傲慢なのと、自信があるのは違う

自信があっても謙虚にはなれるんだよ」

と言われて…

目から鱗( ´・ω・)。え?

 

辞書引いてみました

傲慢:おごりたかぶって人を見くだすこと

自信:自分の価値・能力を信ずること

謙虚:自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること

 

つまり

自分の「出来ること」「できない事」

を知っているからこそ

自分の価値もきちんと知っていて

新しいことをきちんと学べるし

卑屈にならずに他人に学べる

謙虚にもなれる

 

ということらしいのだ

 

その方が夢が遥かに叶いやすい

 

 

なーるほーどなー?

 

頭ではわかったけど

心に落とし込めてないわけなので

時々振り返るためにもここにメモ

 

異論反論は受け付けますヾ(・ω・)

一緒に考えよう!

 

 

世界のためになるかなんてわからない

 

「死ぬまでなんしょっか?」的なブログ、3記事目です

  

1記事目

「夜、死ぬのを身近に感じて怖くなったとき、

   私は世界と原子を共有してることを考えてる」

imatomiraiz.hatenablog.comって話から

 

2記事目

「世界と自分が一緒なら

    何して生きたらいいんだべ?」

imatomiraiz.hatenablog.comって話になって

 

結果「まぁこの世に“絶対的に良い”ことなんて

     たぶんないけど自分的に良さげなことしようぜ」ってことに

           あいなりました

 

さて、みなさん

 この記事何でみてくれてますか?

  PC?スマホ?この記事見つけるくらいです、

   きっと検索なんて余裕でしょう

 

検索、本当に便利です

 地中海家庭料理の作り方から

   今の秋葉原の様子まで、何でも教えてくれます

 

わたしは何でも教えてくれるって思っていました

 

みなさんがおいくつなのかわかりませんが

 30過ぎのわたしが小さい頃、

   未来をテーマにしたSFの小説やアニメ、映画がたくさんあり、

    流線型の車が空を飛んだり、クリアなパイプの中を通過したり、

     地上を高く離れて球体の中に街があったり、

      メタルで流線型で宇宙的で科学的な絵をたくさん目にしたものです

そんなことを思い出してふと思いました。

 

「もっと違う未来がいいな」と。

  レトロな電車が地上を走り、

    コトコト動く機械を人が眺めている。

     自然と動物に囲まれて、のんびりと。

        うわ!いい!それいいじゃん!

 

これ面白い!一人で考えるのもったいないな!

    みんなの意見も知りたいぞ!

      特に一番未来の近くまでいける子供の意見をみてみよう!

当たり前のようにスマホを手に取り

   「子ども」「未来」「希望」「予想」「○○年後」

      このあたりの言葉を掛け合わせて検索しました

 

結果

 

 「今の子どもがYoutuberや公務員になりたいこと」

 「親の希望の職業に子どもを就かせるためのHowto」 

    こんなものばかりでてきました

 

最悪、特に後半のが最悪です

  私はこういうやり口好きではありません

   子育てに絶対的正しいやり方はないと思いますが

    子どもとはいえ他人です。職業選択の自由は尊重して欲しいです

 

ただでさえオワコン的雰囲気の現代日本で 

  必要以上に「しっかり」している子が増えていると感じていたので

    こんな言い方こどもに失礼ですが、

      こんな記事ばかり書いてる大人の下で楽しく生きていけてるのか

          心配でたまらなくなりました

 

「よし、ないなら作れば良い!

   こどもたちと

    どんな未来になると嬉しいか考える会をしよう」

  

そう思ったのですが、

  やり方がさっぱり思いつかない。

 

うーんどうしよう

 

死に近い気分の夜の先

 

前回は

「夜、ふと死が身近に感じられて怖いとき

   こんな風に考えると少し怖くなくなるんじゃない?」って記事を書きました

 

imatomiraiz.hatenablog.com

今回はそれのつづきです

 

人も動物も草木も空気も海も土も、

 循環の中のひとつでしかないと理解したとたん、

 

 わたしのやるきはなくなりました

 

死や将来の不安に急かされるように生きてきた私にとって

 人はぼーっとしてても生きて死んで地球に帰るのだという

  ただ流れる川に浮いているだけのような理解は

   当時の私から時間感覚を奪い、私はそれから一週間何もせず、

    ただぼーっと雲を眺めたり、日のあたる畳に手を延ばしたり引っ込めたり

      そんなことをして過ごしていました

 

一週間経って、やっと暇だと気づき、

  「そうか。今死ぬわけではないのだったな」と理解し、

    さてどうしようかと考えます

 

「死んでもいいなら今死んでもいいのではないか」とも言えますが、

  人に迷惑をかけてばかりの私ですが

   死ねば泣いてくれる人もいるような気もします。

     怖いのも痛いのも嫌です。

 

では何かしようかと思っても

 今や私と共同体である、空やワオキツネザル土星やミジンコが

   どうやったら幸せなのかなど、さっぱりわからないのだから困りました

 

「でもまぁ、折角一個体として存在できてるし、

    時間もそんなに長くないし、

      個体のうちにしかできないことってなんかないかな」

 

そう考えて思いついたのが

  「世界を私が生きているうちに

     私の思うようにちょっと素敵に変えたい」

       ということでした

 

まぁ単なるわがままです

  「私の素敵」が「誰かの最悪」であることは大いにありえ

    この活動に意味はないのかもしれません

 

そもそもこの世に「完全にプラスにだけ働く活動」があるとも思えませんが

   「おおむねよかったよね」ってことはあるかもしれないと思います

     

空がきれいとか、戦争がないとか、絶滅する生物がいないとか、いい気、しますよね

  そういうことでなにかしよう、と考えました

    

それじゃあ具体的に何するべ、って話はまた次回

 

読んでくれてありがとうございます!

夜、死ぬことについて考える

 

ふと眠れない布団の中

「ああ、そうだ自分もいつか死ぬんだ」と

ものすごく胸に差し迫って感じて、怖くて怖くてたまらない。そんな事ありませんか?

 

 

私はたびたびありました

そして、今はもうありません

あったとしても、それが昔のように泣くほど悲しくはなくなったのです

 

神様も天国も転生も、信じられない私ですが、

そういうときに、私がどう考えているか、少しお話してみたいと思います 

 

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わたしはものすごく怖がりな子供でした

 

とにかく「おばけ」が怖くて怖くて、

 夜になると布団にくるまっては

  「おばけに会うくらいなら死にたいです」

    と泣きながらこけしに祈ったものでした

※家にはそれっぽいものがこけししかなかったのです

            

3才の頃、おじいちゃんとおばあちゃんが死にました

 ‘‘もう会えない’’ということが理解できず

  「おじいちゃんとおばあちゃんは怖い目にあっていないの」

   と父に問うと

    「怖いと思う心もなくなったから怖くないんだよ」

      と父は言いました

 

 

 「なにそれ!!!!!!!!!怖過ぎかよ!!!」  

               3才の私は思いました

                

日々そんなことばかり考えていた私は

  学校で浮きまくりましたが、なんとかかんとか

     小中高を出て、大学で生物の勉強をします

 

そんな中、ひとつの話を聞きました

 「海に、コップいっぱいの水を注いで

      世界中の海を完全にかき回して

         またコップですくうと、最初にコップから注いだ水分子が

             いくつか入っている」そうなんです

              そのぐらい分子が小さいよ、という話ですね

 

そこでふと思ったのです

 水の分子は、H(水素)とO(酸素)、二つの元素から出来ています

  人の体は、H(水素)が60%、O(酸素)が25%含まれ、

    他にもC(炭素)やN(窒素)やいろいろが含まれますが、

      空気や、水、土や魚、他の動物、とほぼ共有しています   

 

私たちの体は、

  死んだ人間から出来ていて、

    死んだシロナガスクジラから出来ていて、

      枯れた草木から出来ていて、

       海や空から出来ている。大きな流れの一粒であるといえます

         

そんなあたりまえのことを、

        私はこのときやっと自覚しました

 

また、この流れは、

  私たちが死んだときに突然やってくるのではありません

   私たちは毎日、呼吸や食事でたくさんの物を体に入れて、出します

    

無意識に息を吸い、なんとなく食べて、トイレに行く、そんな何気ないことで

   私たちは体の多くの部分を世界と入れ替えています

 

さて、どうでしょう?

  胸の中に、晴れた日の風が吹いているような、

    澄んだ水が通り抜けているような、そんな気分にはなりませんか?

     

わたしは「なんだ魚とか森とか空の一部になれるなら、それもいいな」

         と思いました

 

結びとしては変ですが

 死が身近に感じられたとき 

  わたしは いつか死んで晴れた日に上空を漂う雲になったとき とか

    大きなクジラになって海をゆうゆう泳ぐこと とかを想像しながら

      過ごしています

 

「そうはならねえなぁ」って人も、

  「なるね!」って人も、コメントくださると嬉しいです