夜、死ぬことについて考える

 

ふと眠れない布団の中

「ああ、そうだ自分もいつか死ぬんだ」と

ものすごく胸に差し迫って感じて、怖くて怖くてたまらない。そんな事ありませんか?

 

 

私はたびたびありました

そして、今はもうありません

あったとしても、それが昔のように泣くほど悲しくはなくなったのです

 

神様も天国も転生も、信じられない私ですが、

そういうときに、私がどう考えているか、少しお話してみたいと思います 

 

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わたしはものすごく怖がりな子供でした

 

とにかく「おばけ」が怖くて怖くて、

 夜になると布団にくるまっては

  「おばけに会うくらいなら死にたいです」

    と泣きながらこけしに祈ったものでした

※家にはそれっぽいものがこけししかなかったのです

            

3才の頃、おじいちゃんとおばあちゃんが死にました

 ‘‘もう会えない’’ということが理解できず

  「おじいちゃんとおばあちゃんは怖い目にあっていないの」

   と父に問うと

    「怖いと思う心もなくなったから怖くないんだよ」

      と父は言いました

 

 

 「なにそれ!!!!!!!!!怖過ぎかよ!!!」  

               3才の私は思いました

                

日々そんなことばかり考えていた私は

  学校で浮きまくりましたが、なんとかかんとか

     小中高を出て、大学で生物の勉強をします

 

そんな中、ひとつの話を聞きました

 「海に、コップいっぱいの水を注いで

      世界中の海を完全にかき回して

         またコップですくうと、最初にコップから注いだ水分子が

             いくつか入っている」そうなんです

              そのぐらい分子が小さいよ、という話ですね

 

そこでふと思ったのです

 水の分子は、H(水素)とO(酸素)、二つの元素から出来ています

  人の体は、H(水素)が60%、O(酸素)が25%含まれ、

    他にもC(炭素)やN(窒素)やいろいろが含まれますが、

      空気や、水、土や魚、他の動物、とほぼ共有しています   

 

私たちの体は、

  死んだ人間から出来ていて、

    死んだシロナガスクジラから出来ていて、

      枯れた草木から出来ていて、

       海や空から出来ている。大きな流れの一粒であるといえます

         

そんなあたりまえのことを、

        私はこのときやっと自覚しました

 

また、この流れは、

  私たちが死んだときに突然やってくるのではありません

   私たちは毎日、呼吸や食事でたくさんの物を体に入れて、出します

    

無意識に息を吸い、なんとなく食べて、トイレに行く、そんな何気ないことで

   私たちは体の多くの部分を世界と入れ替えています

 

さて、どうでしょう?

  胸の中に、晴れた日の風が吹いているような、

    澄んだ水が通り抜けているような、そんな気分にはなりませんか?

     

わたしは「なんだ魚とか森とか空の一部になれるなら、それもいいな」

         と思いました

 

結びとしては変ですが

 死が身近に感じられたとき 

  わたしは いつか死んで晴れた日に上空を漂う雲になったとき とか

    大きなクジラになって海をゆうゆう泳ぐこと とかを想像しながら

      過ごしています

 

「そうはならねえなぁ」って人も、

  「なるね!」って人も、コメントくださると嬉しいです