死に近い気分の夜の先

 

前回は

「夜、ふと死が身近に感じられて怖いとき

   こんな風に考えると少し怖くなくなるんじゃない?」って記事を書きました

 

imatomiraiz.hatenablog.com

今回はそれのつづきです

 

人も動物も草木も空気も海も土も、

 循環の中のひとつでしかないと理解したとたん、

 

 わたしのやるきはなくなりました

 

死や将来の不安に急かされるように生きてきた私にとって

 人はぼーっとしてても生きて死んで地球に帰るのだという

  ただ流れる川に浮いているだけのような理解は

   当時の私から時間感覚を奪い、私はそれから一週間何もせず、

    ただぼーっと雲を眺めたり、日のあたる畳に手を延ばしたり引っ込めたり

      そんなことをして過ごしていました

 

一週間経って、やっと暇だと気づき、

  「そうか。今死ぬわけではないのだったな」と理解し、

    さてどうしようかと考えます

 

「死んでもいいなら今死んでもいいのではないか」とも言えますが、

  人に迷惑をかけてばかりの私ですが

   死ねば泣いてくれる人もいるような気もします。

     怖いのも痛いのも嫌です。

 

では何かしようかと思っても

 今や私と共同体である、空やワオキツネザル土星やミジンコが

   どうやったら幸せなのかなど、さっぱりわからないのだから困りました

 

「でもまぁ、折角一個体として存在できてるし、

    時間もそんなに長くないし、

      個体のうちにしかできないことってなんかないかな」

 

そう考えて思いついたのが

  「世界を私が生きているうちに

     私の思うようにちょっと素敵に変えたい」

       ということでした

 

まぁ単なるわがままです

  「私の素敵」が「誰かの最悪」であることは大いにありえ

    この活動に意味はないのかもしれません

 

そもそもこの世に「完全にプラスにだけ働く活動」があるとも思えませんが

   「おおむねよかったよね」ってことはあるかもしれないと思います

     

空がきれいとか、戦争がないとか、絶滅する生物がいないとか、いい気、しますよね

  そういうことでなにかしよう、と考えました

    

それじゃあ具体的に何するべ、って話はまた次回

 

読んでくれてありがとうございます!